美濃の前方後円墳 |
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古墳の名称 |
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古墳の名称は勝手に付けて良いものではありません。地元で周知の名称がある場合はそれを優先しますが、ない場合は旧字名で付けるルールがあ ります。 栄一に限らず、第1世代は古墳に命名していません。調書のタイトルに「登越古墳」とあっても、これは「登越に所在する古墳」という意味で、固有名詞 ではありません。 しかし、その後このルールを知らない人がいたせいか、それとも自分で命名したいという意図が働いたせいか、ルールに反する名称も出現していま す。 因みに、栄一は「美濃国に存する古墳名称」という原稿を大正期に執筆していますが、残念ながら発表していません。古墳の名称自体を研究対象 としており、命名には極めて慎重な姿勢で臨んでいます。 以下は美濃の前方後円(方)墳の名称ですが、「大塚」「長塚」などは各地にあるため、字名を付けて区別しています。ただし、「前波西寺山古墳」の地 元呼称は「寺山」で、「西」が付随した経緯をまだ確認していません。推測で言えば「東寺山」と区別するために「西」を付けたのではないかと思います が、「東寺山」も地元では「寺山」だったのかどうか、この点も確認していません。 |
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固有 名 詞 |
矢道高塚・矢道長塚・昼飯大塚・昼飯ゴショカイト・遊塚・粉糠山・上磯亀山・上磯北山・上磯南山・城塚・宗慶大塚・富塚・鎧塚・琴塚・南塚・オ ハカツカ・舟塚・野口長塚・坂井狐塚・ヒサゴ塚・坊の塚・金鳥塚・川合狐塚・前波長塚山・前波西寺山 |
字名 | 南屋敷西・登越・不動塚・乾屋敷・的場・郷戸・天野・前波野中西・中切 |
山名 | 円満寺山・象鼻山1号墳・象鼻山4号墳・花岡山・花岡山頂上古墳・船来山98号墳・船来山96号墳・船来山26号墳・柄山・荒井山・東寺山1号 墳・東寺山2号墳 |
栄一が美濃の研究を始めた時、美濃ではまだ前方後円という認定はありませんでした。栄一は奈良・大阪の陵墓を見学して、前方後円墳を独学し、 その知識をもって美濃の中で探し始めました。そのために栄一の基準は高く、典型的なもの以外は可能性として記録するものの認定していません。実 際に外観観察だけでは難しいという側面もありますが。 栄一が公表した前方後円墳は40基ほどですが、それ以外に公表の機会のなかったもの、候補資料が25基ほどあります。 これらの検討が今後の課題です。 |
矢道高塚 |
矢道長塚 |
粉糠山 |
遊塚 |
昼飯大塚 |
琴塚 |
上磯亀山 |
上磯南山 |
上磯北山 |
城塚 |
南屋敷西 |
登越 |
不動塚 |
乾屋敷 |
野7号墳 |
柄山 |
坊の塚 |
野口長塚 |
桐野南塚 |
荒井山 |
洞瓢塚 |
舟塚 |
郷戸 |
富塚 |
前波長塚 |
前波野中西 |
前波西寺山 |
東寺山 (東墳の前方部も大正初期には存在していた) |
川合狐塚 (深い水湟に阻まれて入れないまま、 大正末期に消滅してしまった) |
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上恵土長畑 |
夕田茶臼山 |
高畑 |
以下は未公開分の一部で、栄一が前方後円墳候補として検討しているもの、認定したもの、しなかったものがあります。それにしても80m級の前方後 円墳が未だに忘れられているのは驚きです。 | ||
本巣 |
本巣深田 |
揖斐清水 |
不破ゴショカイト |
各務舟塚東北 |
武儀大跡部 幕末に前方部削平と伝わる |
揖斐休名 円墳2基にしては余りに美しい |
可児往還北 |
加茂大山 右が候補だが、左も気になる |
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