美濃の須恵器
 小川コレクションの中から、美濃出土の面白そうな須恵器を選んで紹介します。
台付椀(台付コップ型須恵器)
 揖斐郡大野町野・滝谷の古墳から出土しました。
 素人目には面白みのない資料かもしれませんが、須恵器としては比較的古手で類例の少ないものです。
 口径9.1cm、器高11.0cm、底径8.3cm。数ヶ所の欠損部があり、実際に残存するのは全体の1/2ほどです。重量は復元樹脂込みで372gです。
 ロクロは左回転で製作しています。ロクロ目は幅9mmほどで、内外が対応して強く挽かれています。そして内面のロクロ目が明確に高低を残し ているのに対して、外面は極めてなだらかに整形するという、かなり個性的な挽き方をしています。また、その上に指痕や指をずらした痕が無数に 残っており、この点も特徴です。
 体部下位および底部は回転ヘラ削りしていますが、削り幅は6mmで、ラセン状に削っています。台部は同心円状にロクロ水挽き成形していま す。
 焼成は極めてよく、硬く焼き締っており、暗赤灰色の色調も特徴があります。
は そ う
 南濃町庭田の古墳から出土したと聞いています。
 口径10.9cm、器高9.7cm、胴部径9.6cm、重量254gで、頸部の1/3、口唇部の2/3が欠損しています。
 胴部が大きく、口頸部が短い形状は、古式のハソウの特徴を持っています。最古型式ではありませんが、当家資料の中では最古のものです。
 全体にロクロの挽き方が鋭く、整然とした印象を受けます。特に口縁は厚さ1mmにまで薄く水挽きされた部分があり、口唇部は切れそうに思え るほど鋭く水挽きされています。しかし、胴部は外面が整然と挽かれているのに対して、内面は粘土紐の押圧痕跡が残っており、部位によって厚 さは極端に異なっています。つまり、水挽きで成形されたものでなく、粘土紐を手捏ねで胴部を作った後、外面をロクロ箆削り成形して、その後で 水挽き調整して作っています。ロクロは左回転です。
 胴部に2本の沈線を廻らして、その間に櫛歯文を施している。櫛歯文は縄目のように間隔が詰っています。
 口頸部の成形は、胴部と一体化してロクロ成形しています。外面で見るとくの字に強く折れていますが、内面は丸く繋がっています。口頸部の途 中に段を設けて2段にしており、外側は突帯が廻りますが、内側は弱い稜線となっています。この稜線はロクロで箆削りによって作られた可能性 があります。文様は、その上下に櫛描波状文を施しています。口唇部は切り分けられて、上と外に鋭く尖っています。
 焼成は非常によく、硬く焼き締まっています。口縁内側と底部内面には自然釉が厚く溜まり、底部はそれを打ち掻いて取っています。
 この時期のロクロ成形は、水挽き成形というより、木地師のように削り成形に主眼を置いていたと思われる。
把手付角坏(とってつきかくはい)
 揖斐郡片山の古墳から出土したと聞いています。
 口縁部の1/2弱が欠損のため復元していますが、ほぼ完存しています。高さ11.3cm、口径は最大で11.4cm、底径は5.9cmで、重量は復元樹脂 込みで390gです。
 ロクロ右回転で成形しています。体部は直線的に開き、中位辺りから若干開きが大きくなっています。ただし、把手を付ける時にその部分だけは 僅かに窪んで変形しています。
 把手は手捏ね成形した棒状の粘土で、ヘラ削りなどの痕跡はありません。胴部への取り付け方は非常に巧みで、粘土はほとんど食み出さずに 貼り付けています。焼成はよく、硬く焼き締まっており、自然釉が降り掛かっています。
 この形は非常に珍しいものです。形から言えば、椀のようにも見えますが、これほど深く目で直線的に開く形は、古墳時代にはありません。角坏 は角を刳り貫いて作った杯で、それを模倣して作った須恵器があります。それは底が尖っているため、置くことができません。これはそれを変形さ せて、底は平らに、そして角状の手を付けた形ではないかと考えて「把手坏角杯」としました。
三足壺
 可児市土田渡古墳群から出土しましたが、詳細は伝わっていません。
 三足のうち2本は樹脂で復元されており、口縁部も7/8は復元されています。器高22.1cm、壺部の高さ14.5cm、口径8.1cm、胴径15.6cm、重量 は復元樹脂込みで985gで、本来は1kgくらいであったと思われます。
 壺部は美濃にしては珍しくロクロ左回転で成形されています。胴部は肩が張りますが、丸みがあり、2本の沈線を廻らして、その間と上部に櫛歯 文を施しています。櫛歯文は右傾斜で、右手で施しており、櫛歯は8本まで確認できます。
 口頸部は胴部に比べて薄く作られ、頸部中位と口唇部の外側が右手で手持ちで箆削りしています。
 自然釉の掛かり方から、口径8.9cmの蓋が付いていたことが窺えますが、この口径から復元しますと、蓋がつかえて入らなかった可能性があり ます。つまり、口頸部を削ったのは蓋を合わせるためだったと思われます。
 脚は粘土の棒をヘラ削りして、概ね断面八角形に加工しています。
 三足壺自体が非常に珍しい製品で、美濃では2〜3点しか出土していませんが、本品は現存する唯一の資料です。美濃を代表する須恵器の一 つと言えます。
 これを出土した土田渡古墳群とはどんな史跡だったのか、その重要性を示唆する遺物です。
箆書きハソウ 「次」
 各務原市蘇原から出土したハソウで、口頸部は残っていません。
 大きさは胴径7.8cm、現存高6.1cm、現重量193gで、胴部上部に1本の沈線が廻っており、肩部に「次」と箆書きされています。:筆の運びは流 暢ですが、筆順は誤っています。
 7世紀中頃の製品と思われ、現在確認されている中では美濃地方最古の文字資料と思われます。
 「次」の文字の意味は、残念ながら推察できる材料がなく、今のところ分かりません。しかし、7世紀後半に都市空間のあったと思われる地区か ら出土しており、何か感じさせるものがあります。
須恵製玉


     側面                             上面   下面
 関市下有知の向中野古墳出土と伝わっています。この古墳に関わる栄一の記録は、まだ確認していません。私は『関市史』に記述されているこ と以外に承知しておりません。
 この資料は真っ二つに割れており、現重量は52gであることから、本来は100g余りと思われます。首にぶら下げるには重過ぎます。
 大きさは直径47mm、高さ43mmで、全体を3段に分けて、それぞれを8分割して箆で文様を入れています。上下の孔の周囲は菊座状の部位を 表していることから、このモデルとなった製品が石製やガラス製でなく、金銅製の空玉だったのではないかと思われます。孔は直径5mmの円孔 で、太い紐を通したと思われますが、用途は分かりません。
 胎土や色調などから、時期は7世紀と推察します。他に見たことのない珍品で、これも美濃須衛工人の作品です。
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