美濃の石棺 |
石棺は石で作った棺です。美濃にも少なからず存在したと思われますが、現存するものは多くありません。栄一の記録から、消滅したいくつかを 知ることが出来ます。石棺には長持形石棺・家形石棺などの種類がありますが、美濃で確認されているのは家形石棺だけです。時代は6世紀後半 に出現し、7世紀後半以降になると極端に小型化するようです。 大きさは90cmから270cm前後まで様々ですが、これだけの加工のできる大きな石はどこにでもあるものではなく、濃尾平野では可児市周辺から 犬山市にかけて分布する砂岩層に限られます。したがって、美濃・尾張ともに検討する必要がありますが、ここでは美濃に限って紹介します。 石棺の重量は軽いものでも数百キロ、大きいものは1トンを越します。それだけに有力者でなければ入手は困難です。大きい石棺は大きい古墳に 使われる傾向があることからも、財力に比例すると思われます。それだけに6世紀後半から8世紀にかけて、有力地域の抽出に重宝な材料ではな いかと考えられます。勿論、産地に近ければ入手し易く、遠ければ入手し難くなりますので、可児市との距離を考慮する必要はありますが。 そのような眼で出土地(下記表)を見ると、美濃の石棺の大半は可児市と各務原市周辺に集中しています。可児市は有力者もいるでしょうが、生 産地であるが故の分布と思われます。それに対して、各務原市は近隣で最も有力な地域と見做されます。7世紀後半から8世紀前半にかけて、各 務郡は寺院が集中し、有数の古代都市の営まれていたことが推測されますが、その優位性は既に6世紀後半以降に形成されていたことが窺われ ます。 以下、栄一の調書を中心に石棺を紹介しますが、7箇所は今なお未発表の石棺で、整理公開の必要性を痛感しています。 |
岐阜市加野大蔵山古墳(家形石棺) |
各務原市西裏田古墳 |
各務原市長塚ハマミ塚古墳 各務原市各務郷戸古墳 |
関市小瀬御前塚古墳 |
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各務原市鵜沼舟塚古墳石棺 (各務原市報告書より転載) |
舟塚古墳石棺復元図 (各務原市報告書を元に改図) |
各務原市鵜沼大牧1号墳石棺 (93年1月撮影) |
各務原市鵜沼狐塚古墳石棺 (大正〜昭和初期か) 狐塚古墳石棺 |
可児市羽崎不孝寺塚古墳の石室と石棺 (大正〜昭和初期か) 不孝寺塚古墳石棺 |
可児市土田渡東山古墳 |
可児市土田井ノ鼻(無名)古墳 |
可児市土田渡東山古墳石棺 (この石棺は南山大学博物館に保管されています) |
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可児市羽崎中洞横穴 (岩壁から石室ごと削り出した造付け石棺) |
可児市羽崎日吉社西横穴(造付け石棺) |
郡上郡大和村福田1号古墳(箱式石棺) |
古墳名 | 所在地 | 墳形 | 石棺形状 | 備考 | 調査年 他 | |
1 | 寺前1号墳 | 大垣市昼飯町 | 円 | 刳抜家形 | ||
2 | 大蔵山古墳 | 岐阜市加野大蔵山 | 刳抜家形 | 長3尺5寸位,幅2位 | 大正末頃調査 | |
3 | 御前塚古墳 | 関市小瀬 | 方 | 組合家形 | 長5尺9寸,幅2尺 | 昭和3年調査 |
4 | ハマミ塚(山日向16号墳) | 各務原市那加長塚町 | 円 | 家形 | 長6尺余,幅2尺5寸位 石棺ニハ上ニ隆起シタル蓋アリタリ。石棺内ニ ハ 勾玉五管玉一切子玉三金環直刀二 |
明治33年消滅。聞き書き |
5 | 大牧1号墳 | 各務原市鵜沼 | 円 | 組合家形 | ||
6 | 舟塚古墳 | 各務原市鵜沼 | 前方後円 | 組合家形 | ||
7 | 鵜沼狐塚古墳 | 各務原市鵜沼 | 円 | 刳抜家形 | 長6尺4寸5分,幅3尺 | 大正期調査 |
8 | 郷戸古墳 | 各務原市各務おがせ町 | 前方後円 | 組合家形 | 蓋長7尺3寸,幅2尺6寸 石棺内ニハ頭部ヲ北ニシ仰臥スル人骨アリ足ノ 下端ハ石棺西側ニ向ッテ接近開クト云フ骨片ノ 量ハ一升ホトアリシト |
昭和31年調査。消滅 |
9 | 西裏田古墳 | 各務原市各務字西裏田 | 組合家形 | 長7尺,幅2尺8寸,高1尺3寸程 | 昭和15年調査。消滅 | |
10 | 川合狐塚古墳 | 可児市川合 | 前方後円 | 刳抜家形 | ||
11 | 東山古墳 | 可児市土田渡 | 円 | 組合家形 | 蓋長6尺2寸,幅2尺2寸 往還北 俗称東山古墳「昭和7年開墾 |
昭和8年調査。消滅 |
12 | 北割田1号墳 | 可児市土田 | 円 | 刳抜家形 | ||
13 | 北割田2号墳(玄室・羨道2棺) | 可児市土田 | 円 | 組合家形 | ||
14 | 土田井ノ鼻(無名)古墳 | 可児市土田井ノ鼻 | 刳抜家形 | 昭和初期頃調査。消滅 | ||
15 | 不孝寺塚古墳 | 可児市羽崎 | 円 | 刳抜家形 | 大正期調査 | |
16 | 羽崎日吉神社古墳 | 可児市羽崎 | 円 | 刳抜家形 | ||
17 | 羽崎日吉神社東古墳 | 可児市羽崎 | 刳抜家形 | |||
18 | 大洞4号墳 | 可児市羽崎 | 円 | 刳抜家形 | ||
19 | 羽崎中洞横穴 | 可児市羽崎字中洞 | 横穴 | 組合家形 | 石室ごと凝灰岩層刳り貫き | 大正期調査 |
20 | 羽崎日吉社西横穴 | 可児市羽崎日吉社西 | 横穴 | 組合家形 | 石室ごと凝灰岩層刳り貫き | 大正期調査 |
21 | 今洞(無名)古墳 | 恵那郡蛭川村今洞 | 家形 | 大正期聞書き | ||
22 | 真名田洞古墳 | 衛嵩町中真名田山 | 円 | 組合家形 | 長6尺1寸8分,幅2尺(棺底のみ遺存) 昭和27年3月道路改修ニツキ発見 |
昭和27年調査 |
23 | 諸家1号墳 | 多治見市姫町 | 円 | 刳抜家形 | ||
24 | 福田1号墳 | 郡上郡大和村福田 | 組合箱式 | 長6尺2寸,幅1尺8寸 | 昭和30年調査。消滅 |
(緑字は栄一調書によって第三者から発表された石棺。赤字は未発表の石棺)
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