大正期創立 美濃考古会


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 大正15年4月18日、牧野西洲・関口藤兵衛・林 魁一・小川栄一らが中心となって「美濃考古会」が結成されました。事務所を岐阜市 内に置くことが会則で決まっており、当初は松尾国松岐阜市長が会長を勤めておりました。活動は、年4回の例会、屡々の臨時例会を 開き、会員が資料を持ち寄って展示会や講演会を開き、学術雑誌『山美水濃』を刊行しておりました。
 この会の前身は「美濃考古史談会」で、栄一は大正3年5月31日より参加しています。この日が栄一にとっての初参加なのか、創立 なのか、詳しいことは掴んでいません。地方の考古学会としては、恐らく最古クラスではないでしょうか。田舎においてこのような活動 が熱心に行なわれたことは、全国的に見ても評価されることでしょう。
 美濃考古会は戦時中も開催されておりましたが、さすがに20年は休会したようです。しかし、昭和21年1月には活動を再開していま す。栄一日誌では昭和34年12月12日に安藤守元氏宅で行なった例会が最後となっています。 写真は昭和7年 12月18日、岐阜市役所において開催された24回大会の記念写真です。この写真内の人物を特定したいと考えています。もし、ご存じ の方がおられましたら御一報下さい(写真をクリックして頂ければ拡大します)。因みにこの日の講演者・出品者は、上田守夫・小川 栄一・徳富 定・平塚正雄・奥村秀雄・長谷川友二郎・安藤守元・牧野西洲で、下段右から3番目が栄一です。