朝倉窯址を特定した刻印須恵器
美濃刻印須恵器は、奈良時代に美濃で製作された須恵器で、「美濃国」あるいは「美 濃」の印を押したものです。
 大正13(1924)年に林魁一氏が初めて学界に報告しましたが、美濃のどこで焼かれた か分かりませんでした。
 昭和41(1966)年に至って、岐阜市芥見で宅地造成された時、散乱する須恵器の中か ら、小川弘一が刻印須恵器(写真)、そして窯址を発見しました。それが朝倉窯址で、こ こに初めて刻印須恵器の焼成窯が特定されました。
 その後、朝倉の山の裏側で老洞窯址が発見され、そこが中心と考えられています。

美濃刻印須恵器生産の中心 老洞窯址


 昭和52(1977)年に至って、老洞において刻印須恵器が確認され、翌53年に楢崎彰一先生を中心として岐阜市教育委員会による発掘調査が行な われました。この時、1号窯址から1290点に及ぶ美濃国刻印須恵器、箆書き須恵器が発見されました。朝倉は発掘調査が行なわれていませんが、 現在の情報を総合すると、老洞窯址が刻印須恵器を焼成した中心であったと思われます。
 そして、老洞窯址の調査と整理・研究・報告があってこそ、現在の美濃刻印の研究が可能となりました。 



美濃刻印須恵器は、岐阜市歴史博物館で常設展示しております
また、老洞窯も復元展示しています。是非とも行って見て下さい。
(以下の老洞窯址の資料は、岐阜市歴史博物館が所蔵しております)








































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