国内最東部の五銖銭 |
五銖銭 |
鏡の出土よりかなり早い時期に、五銖銭が採集されています。現在、詳しいことが分からないので栄一の記録を探していますが、五銖銭を納 めた栄一の箱には「瑞龍寺山頂」と書かかれております。岐阜の人間にとって「山頂」とは鏡の出土した場所を指します。とすると、五銖銭も鏡と同 じ墓から出土した可能性が高いと思われます。 五銖銭は中国の貨幣で、紀元前2世紀から700年間ほど造られましたが、この五銖銭はそのうちの後漢五銖銭で、1〜2世紀頃のものではない かと考えています。前漢のものに比べると薄手で軽く、「五」の字が曲線的な点に特徴があります。 表の左上に小さな孔が穿たれており、そのために亀裂が入っています。ペンダントにでもしたのでしょうか。また、裏面の上部に「十」のような二 次的加工も見られます。 |
瑞龍寺山頂出土五銖銭 |
五銖銭の出土地は西日本に限られており、ほとんどが北九州周辺です。弥生時代は滋賀県 鴨田遺跡が東限とさ れていますが、実際は美濃の瑞龍寺山です。弥生時代の五銖銭出土遺跡は、10箇所にも及 びません。この点だけ でも、瑞龍寺山の重要性が理解できます。 |
|
|