舟塚古墳の杏葉


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 舟塚古墳は全長45mほどの前方後円墳で、各務原市鵜沼大伊木にあります。

 大正時代の中頃から土取りのために次第に壊されていき、現在は後円部の大半と前方部の手前を失ってい ます。大正12年に後円部が大きく土取りされて壊されたようで、その折、杏葉2点などが出土しました。

 杏葉は馬の腰辺りに付けた金銅製の飾です。金色に輝いていましたが、昭和20年に大垣空襲で焼失してし まいました。5ヶ月後に小川栄一が焼跡を掘り返して、やっとの思いで探し出したそうです。焼け崩れて姿は変 わってしまいましたが、それでも素晴らしさは伝わります。6世紀後半(古墳時代後期)に中国で作られた製品 と思われますが、国内でこれほどの優品はほとんどありません。これほどの製品が大和で見つかったなら分 かりますが、なぜ各務原で見つかったのでしょうか。この点が問題です。私は大和勢力との強い関わりを想像 します。このページの製品は蟠龍文ですが、別に双鳳文の製品があります。その文様を表題ページに掲載し ましたが、これは空襲被災前の写真から起しました。カラーのように見えますが、実はセピア調のモノクロ写真 です。素晴らしさはよく伝わってきます。