刻印須恵器の生産
刻印の施印時点
 現代の陶芸品には作家印などが押されていますが、それはブランドを示すためで、作品完成後に押しています。ところが、美濃刻印の多くが製 作途中で押しています。そのために、印の表面が撫でられたり消えたりしたものが決して少なくありません。下図は有台坏の製作工程ですが、 個体数は坏椀鉢を一括しています。これを見ると、半乾燥後に破損し難い内面に施印したものが90%に及び、破損し易い体部に施印したものは 内外合わせても5%です。
 長頸瓶では製作前の粘土板に施印し、それを裏返して底部としたものが28%もあります。つまり、これから作るものは施印するということが予め 決まっていたということです。
 胴部の半乾燥後、そして頸部の半乾燥後に施印していますが、いずれも破損し難い位置を選んでいます。
老洞窯の操業サイクルと工人数
 老洞窯の操業サイクルを推定してみますと、窯詰め1日・焼成2日・冷まし3日・窯出し1日・窯補修1日とした場合、合計8日となります。
 老洞1号窯の焼成室は幅60〜130cm、長さ5mですので、平均幅105cmとして無台坏(径13cm)を15cm間隔で並べると、1列7個体33列とすると 231段、1段に15個重ねたとすると3465個となります。つまり、焼成間隔を8日、轆轤工人は専業と仮定すると、1日の生産量470個で連続操業が可 能ということになります。
 問題は1日の生産量ですが、文献資料を参考にすると、奈良の土師器工人は1日に100個ほど製作しています。これは轆轤を使わず、中に暗文を 描く製品ですから、須恵器がこれを下回ることはありえません。因みに私の技術では茶碗を1時間に20個、10時間労働なら200個ほど製作できま す。つまり、轆轤工人は2〜3人で十分です。
 ところが、Va期の印は2系統で24種、つまり延べ24人もいました。このうちいくつかは同じ人が使ったと仮定してみても、印の押し癖が異なること からそれほど少ない数字にはなり得ません。
 したがって、老洞窯では工人が交代勤務したことは確実で、その時に施印義務があったと言えます。
まとめ
 刻印須恵器についてまとめてみると、次のようなことが言えます。
・美濃刻印の形状は、古代の印章とは全く異なります。特に初期の印の形状は甕などの叩きに使う当て具の形状に近いと思われます。 とるすると印章の系譜になく、独自の発想、つまり工人の発明と推定されます。
・印の変遷は小型化の過程で変遷しており、それはより押し易い形状への変化、つまり工人の意志によって変化したものと思われます。
・「国」字の有無も小型化の過程で削除または追加しており、これも工人の意志と思われます。
・須恵器の施印の位置は、押し易い部位を選んでおり、これも工人の意志によると思われます。
 このように見ていくと、工人の意志ばかりが目立ち、とても国の指示で行なわれたようには見えません。しかし、施印義務の存在したことだけが説 明できません。それに文字が「美濃刻印」であることから、明らかに国は関わっています。
 古代の税金には租庸調があり、須恵器は調に当たります。そこで、調として納めた製品に押したのではないか、ということも考えられますが、それ では修正施印が説明できません。
 そこで、勤労奉仕である庸として工人たちが製作に従事した期間に作成したのが老洞窯における刻印須恵器だというのが私の考えです。ただし、 老洞窯以外で生産した刻印須恵器が庸としての補完的生産品なのか、それとも調なのか、この点はまだ検討する必要があると考えます。
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