美濃刻印の変遷 |
| 美濃国刻印の変遷は、およそ3期に大別され、それぞれが更に細分可能です。大別は次のような3段階です。 T期 : 刻印の出現期 U期 : 反転印の出現期 V期 : 多量生産、かつ加工印の使用期 美濃刻印はT類系とU類系の2系統があり、非常に類似した系譜を辿っていますが、基本的にはT類系が先行していると考えています。印は次 第に小型化しますが、V期は更に国字や周辺の余白を加工して小型化しています。小型化のメリットは押し易さにあります。 また、美濃刻印は老洞で製作した個体の全てに押されている訳ではありません。当初は僅かな個体に押しただけと思われますが、V期にはか なりの個体に押したと思われます。しかし、それでも恐らくは3割ほどにしか押されていません。しかし、それにも拘わらず、製作時に乾いてしまって 押せなくなった場合には、水滴を付けたり粘土を貼り足したりして押すものがあります。押したものと押さないものを同時に作っているならば、次の 製作個体に余分に押せば済むことですから、無理をして押す必要はありません。このことから、印を押す時期と押さない時期があったと推定されま す。また、老洞において重ね焼き資料を見ると、焼き付き個体ともに刻印の見られるものが数点ありますが、逆に一方に刻印がないと断定できるも のはありません。このことから、刻印須恵器はまとめて焼かれたと推定されます。 問題は、このような強制がどこから生じるのかという点ですが、私は粘土などの材料、薪などの消耗品、そして工人自身への制約があったと考え ます。それは古代の文献では租庸調の「庸」に当たると推測します。つまり、老洞窯では庸として工人に作陶、一般農民に粘土掘り・薪の切り出し などの雑務を課して生産にあたった工房ではないでしょうか。そしてそれを統轄したのが各務郡司村国一族で、美濃須衛窯跡群および老洞窯は村 国一族の管轄下にあった私窯と考えられます。 |
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